中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?信者の芸能人は?

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芸能ブログライターのkomichiです。

今回のテーマは「中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?信者の芸能人は?」です。

まさに日本の元祖歌姫とも言える中島みゆき、個人的に知らなかったのですが彼女は以前天理教に入っていて脱退したということですが何故信仰していた宗教から離れたのでしょうか?

天理教には他にも数多くの芸能人が入信していると言われています、誰が信者なのかまずはご紹介していきましょう!




天理教とはどんな宗教?

中島みゆきも以前は信仰していたという天理教とは、いったいどんな宗教なのでしょうか?

江戸時代末に成立した天理教は、新宗教の一つで中山みきを教祖としている宗教団体になります!

中山みきは、寛政10年に現在の天理市見昧田町にあった前川家の長女として誕生します。

この家は大庄屋だったと言われていて信心深い心優しい人間へと成長し、13歳で中山家に嫁ぎます!

天保9年41歳のときに神の啓示を受け、彼女の体に親神様が入りました。

嘉永7年に妊婦が安心して出産できるように「をびや許し」を始め、これが日本全国へと広まりました!

彼女の言動を快く思わない他の宗教から迫害を受けながらも、天理教は人々から親しまれ広まっていったそうです。

をびや許しは、妊娠6ヶ月以上の女性やその夫、夫婦の両親であれば代理で受けることが出来ます。

奈良県天理市に本拠所を置いていて、信者と教祖で作る法人格を持った包括宗教団体で、天理教の傘下にある一般教会は各地に存在します!

天理教の神名は天理王命(てんりおうのみこと)で、別名親神、親神様とも呼ばれています!

そして、芸能人の中島みゆきも所属していた天理教は「陽気ぐらし」というのを世界に実現しようとしている団体です!

教祖の中山みきは明治20年に死去していますが、天理教では目に見える現身(げんしん)を隠しただけで、その魂は教会本部に留まっていて人々の暮らしを見守り守護していると考えています!

この「教祖存命の理」という考え方が、天理教の信者にとって精神的な支柱になっているということです!

2018年2月11日現在の統理者は「真柱(しんばしら)・中山善司」になります!

天理教の信者は基本的にハッピを平服の上に着るのですが、黒字で背中には天理教と書かれています。

そして、天理教は神道の影響が強く根本教義には次のようなことが書かれています!

「この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」

人間の役割は、親神が見たいと説く陽気ぐらしを実現することで、親神の守護と恵みによって生かされているという謙虚な気持ちを持って欲を捨てて、嘘をつかず、平和で豊かな世界を目指すことが重要。

さらに、天理教では人間社会の根本理念として親子関係や夫婦関係が重要視されています!

結婚に関して天理教では男女の両性が愛し合うことが前提ですが、離婚は否定していません。

全国各地の天理教の教会は、ぢばの方角に建てられていて信仰している人たちは、ぢばに向かって人の幸せや救いを親神様に向かって祈ります!

本部神殿は、365日24時間開かれていていつでも参拝出来ます!

天理教信仰の中心になるぢば一帯はもともとは、大和の国の庄屋敷村と名づけられた小さな村だったのですが多くの人がやってくるようになり、親里村と呼ばれるようになりました。

親里は人間の帰りを待っていてくれる親神様がいて、人類の故郷であると考えています。

そして、芸能人にも信者が多いと言われる天理教は明治時代から海外へも広がっています!

集団移民した日本人がいる場所やアメリカのハワイ、ブラジル、ペルー、コロンビア、アルゼンチン、パラグアイ、インド、オーストラリア、英国、フランス、メキシコ、チリ、香港、ニュージーランド、ウガンダ、ゴンゴ、ケニア、フィリピン、ネパール、シンガポール、タイなどの世界各国にあります!

教義の基礎は「お筆先(おふでさき)」「神楽歌(みかぐらうた)」「御指図(おさしづ)」の3種類の掲示書に示されています!

毎年1月5~7日に教会本部で「お節会」という行事が行われていて、この期間中は人類の故郷と考えられているぢばに帰り、参拝した人には鏡餅を雑煮にしたものが振る舞われています!

現在の宗教法人天理教の教えは、元祖の教祖であった中山みきの教えと明らかな違いがあるという指摘がされています!

天理教信者の芸能人一覧

ここからは、天理教の信者だと言われる芸能人をご紹介していきましょう!

● 李香蘭(山口淑子)
天理教信者であったのは事実のようで、神殿で見たという目撃情報が多いのです!

● 元チェッカーズ 高杢禎彦
がんになったことで、天理教の信者になったと言われています

● 加護亜依
子供の頃に、天理教が毎年夏休みに行っている子供向けのお泊まり会「こどもおぢばがえり」に参加していたと語ったことがありますが、これは信者でなくても参加出来るのでそうであるのかは不明です!

● 渡辺徹
ご両親は天理教だったことから、渡辺徹もそうではといった説や一時期週刊誌にもそう書かれていたと言われています

● 伊東美咲
学生時代素行が悪かったことから、大阪の天理教の分教会に下宿に出されたそうです。

● 畑恵
目撃情報が多いようで、信者だったのではという説が浮上しています!

中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?

芸能人の中島みゆきは天理教の信者だったといいますが、脱退した理由はいったいなんでしょうか?

それを紐解いて行く前に、中島みゆきとはどんな人物なのかご紹介していきましょう!

1952年2月23日北海道札幌市生まれの65歳(2018年で66歳)、日本のシンガー・ソングライターでラジオパーソナリティでもあります。

1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビュー、父親は産婦人科医だったといいます。

ご存知のとおり、芸能人として日本で知らない人はいないと思われる中島みゆきは数々のヒット作を自身が歌う以外にも、他の歌手に楽曲提供して世の中に送り出しています!

1979年にニッポン放送の「中島みゆきのオールナイトニッポン」が放送開始され、リスナーから大きな支持を受けます。

1983年になると、柏原芳恵に提供した「春なのに」が大ヒットし、第25回日本レコード大賞で作曲賞を受賞するなど数多くの賞をもらい、日本の音楽業界を牽引していきました!

さまざまな活躍をしてきた中島みゆきは、2009年11月3日に紫綬褒章を受賞しています!

芸能人としての中島みゆきの活躍の裏には、天理教が色濃く影響されていると言われていて、言葉遣いや衣装などに強い影響を与えていたといいます。

両親が信者で、父は産婦人科医だったのに赤ひげ先生のような生き方を実践しお金のない人からは出産費用を取らなかったと言われているほど、熱心に天理教の教えを守っていたといいます。

その意志を引き継いで、中島みゆきは芸能人として活躍をしながら天理教の教えを歌の歌詞に込めて、多くの人に広めていったと言われています。

1992年に発表された「糸」という曲は、天理教の代表者「中山善司氏」の結婚式のために作られた曲だと、天理教機関新聞1992年4月12日号に書かれているそうです!

この歌の歌詞に次のようなものがあり、脱退の噂がある中島みゆきの歌詞が好きすぎて天理教に入りたくなるファンもいると言われています。

「縦の糸はあなた、横の糸は私、会うべき糸に出会えることを人は幸せと呼びます」

この曲は、人を糸にたとえて人と人が出会うことで布が出来上がる、という意味がある素敵な作品となっているそうです!

そんな中島みゆきが天理教を脱退したという噂が出ていますが、実はこれに関しては本当か噂なのか憶測の域を出ていないと言われています。

ただ、先程も書いたように中山みきが生きていた頃から考えると現在の天理教はただお布施集めに熱心で、教えが捻じ曲げられている面があると言われていて、それにうんざりしている信者の方もいるようですから、芸能人の中島みゆきがそれにうんざりして脱退した可能性は否定できないと考えることも出来るようです!

どんなものを信仰するかは個人の自由です!

こんな映画もありますので、参考にされてください!

宗教大国欧米の大手メデイアが唸ったと言われる、個人的にも好きな作品です。

ちなみに、PKとは酔っ払いという意味です!

現実はひとつではありませんね!

今回は、「中島みゆきがなぜ天理教を脱退したのか?」というテーマでお届けしました。